なぜ1軒の産直農家で1億円を超える売上げがあげられるのか?~楽農ファームたけした武下社長インタビュー

いちご雑学

このたびは福岡でいちご産直農家といちご関連ビジネスを展開されている楽農ファームたけしたの代表、武下浩紹氏にインタビューをさせて頂きました。

友人のご紹介で武下さんとお知り合いになったのですが、興味深いと思ったことが2点あります。

まず、出版をされていること。

「最強の自社ブランド農業経営 ―イチゴで年商8000万円」という本を出されています。取材するにあたり、私も拝読しましたが、ビジネスのコツが詰まった内容で、イチゴ農家向けだけの本ではありません。

そして、もう一つは講演活動をされていること。

様々なところで、ご自身の今までの学びや経験をお話しされており、それがとても情熱的というか力のこもったものになっています。

フェイスブックで拝見し、ぜひいちご大学で取材をさせて頂きたいと思い、今回のインタビューに結びつきました。

それではインタビューの内容をどうぞ!

いちご農家になられたきっかけについて教えてください。

もともと、私は農家の長男です。

かつて、トマトを育てていましたが、1玉1円の値段がつけられたことがありました。

トマトが悪いわけではないのですが、当時は市場が悪いと思っていたので、農作物の種類を変えれば何とかなると思っていました。

トマトであればオフシーズン、少しの休みがあると聞いてはいたのですが、一円トマトの経験から、息子である私の時代になって、いちごを選択することにしました。

なので、今考えると決してポジティブな感じでいちごを選択した訳ではないのです。

様々なことに取り組まれていて、農家の方の発想ではないと感じているのですが、その点はどのようにとらえられていますか?

そうですね。普通の農家を何年かやってみて、これでは自分の代で終わると思い、自分でオークションに出品し始めたのがきっかけです。

5年目の時に農協出荷とヤフーオークション出荷の割合が半分ほどになりました。

当然、面積の割合に比べて農協への出荷が少ないので、何をやっているのだという話になります。また、ヤフーオークションへの出品にJAの段ボールを使っていたこともあり、東京市場からクレームもきました。

そんな常識も知らなかったので、JAをやめることになりました。

周りの仲間も、JAに出荷してしっかりやれというのが常識です。しかし、単価決定権が自分にないということで、いつ、トマト一円で味わったような地獄になるかという思いがあって、覚悟してJAをやめました。

しかし、結局、JAをやめてからの方が地獄だったのですが。

その時は農協をやめるという選択をしましたが、その時に色々言われたのを妻のお父さんの鶴の一声、「こうやって頑張っているのだから、やらせてあげないと」で、農協をやめることになりました。

当時は平成18年。非国民扱いでしたし、市役所に行くと「もう、あなたの応援はできません」とはっきり言われました。

だから、この町を出ていけと言われているのだと思い、佐賀県の高速道路のサービスエリアや大分県の農家さんなど加工品を作っているところへ農家民泊で話を聞き、自分の町から3時間も4時間も離れている場所へ通い、商売の勉強をしたのですが、売れなかったですね。本当に地獄でした。

きちんとビジネスのことを学んでから独立したらよかったのですが、30代はFacebookのはしりということもあり、無料セミナーをたくさん受けていました。

お金も時間もないので有料セミナーになった瞬間に逃げるということをしながら、つぎはぎ過ぎて何が良いかわからない状態。

そのような中で、JA青年部やPTAにも関わっていたので、限界を超えた日々でした。ドラマチックな30代でしたね。

しかし、そういうことがあったので力がついたのだと思います。

結局、それを漫画にしました。漫画だと安く作ることができ、商品には必ずそれを入れてブランディングしています。

農協についてのお話がありましたが、もう少し詳しく聞かせていただけますでしょうか。

農協に対する認識は、生産側に立たなければわからないと思います。

私も、当時は農協のせいだと考えていましたが、やめてみてわかったのは、農協はこの国になくてはならないということです。農協という組織があるからこそ、新しく農業に取り組む人がやっていけるのです。

最初から、美味しいイチゴは作れませんから。

チームとして手法を学び、1年間のサイクルもわかりますし、農業における貸し借りやいろいろな知恵を学ぶことができる農協は、この国の土台です。

販売に関しても、最初から産直農家になりたいという人がいれば私は反対します。出口戦略もないまま産直農家になれば、確実に破綻しますから。。。

まずは農協で、5年10年修行をして、それからですね。

一方で、独り立ちできる農家を育てなければ、この国の未来はありません。

ところが、5年10年甘い汁を吸ったら出られないということも実状であり、かと言って、私のような人がたくさんいたら大変です。

生産工程を学べないなど、得意不得意はありますよね。クレーム対応は大変ですし、詐欺にもあいました。盗難もあるのでセコムを導入していますし、何もなくても顧問弁護士に費用を支払っています。

かつて、農業コンサルタントを目指していましたが、いまはもうやめました。

農業だけやっていてもダメで、きちんと資産運用もしなくてはなりません。私も、豪華客船事業の営業をしています。人口が減っていくし、気候変動リスクも大きいので、農業収入だけでは立ち行かなくなっていく時代です。

私が本を書いたのは、農家に向けてではなく、自分自身のブランディングの必要性を説くためです。伝達力とマーケティング、それが必要だと思っていたところコロナになり、描いていた10年後の未来は、1年後になりました。

これからはいちごの労働収入だけに頼っていてはダメですね。一つの仕事だけのことを勉強していては続かないので、ヒトモノカネ全て必要です。

また、どこかの大会社に依存するような生き方はよくないですね。宝くじを買うお金があるなら、1億円稼げるようになれと言っています。

いろいろなことがあっても常に顧客志向であり、結果的にいちごが売れていると思うのですが、その極意について教えてください。

身の回りの人間を奴隷のように扱い、プロダクトアウトという生産者思考の情報発信をするなど、以前の私は機会があれば、いちごのことばかり話していました。

例えば、コピー機のセールスの電話がかかってきて「コピー機いりませんか?」と言われたならすぐに電話を切りますが、「御社のコストを20%削減できる方法があります」と言われたなら、私は話を聞きます。そう言った営業手法を学ぶのに、1千万円かけました。

最初にセミナーを受けた時、18万9千円と言われて詐欺だと思ったのですが、40歳を迎えて飲みにも行かず、好きなものも買わないと決めて伝達について学び、マーケティングを身につけたことで、1億売れるようになりました。しかし、この方向性であれば、また死んでしまうと思い、道をさらに変えたのです。

親からしてみると、なんでそんなに苦労しなくてはいけないのかと。妻も色々言われて板挟みで大変だったと思います。

そのため、家からこっそり出かけて、こっそり帰ってくる生活でした。自分の仕事のことは妻も何も言わなかったのですが、学校の先生が子供に「お父さん、すごいね」と話していたようです。

このような状況ですが、鋼のメンタルはできました。我が家にはトイレが2つあるのですが、殴って壁が壊れています。悔しくてしょうがないので振りかぶっていたら、穴が空いてしまいました。それだけ、自分の思いが通じずに、悔しかったのです。

販売能力を磨かない状態での生産一本の生き方は、今はお勧めしません。でもこの先世界人口は0億を超えて、必ず農業の価値が飛躍るのは間違いないです。

親の時代はまだセーフです。団塊の世代はまだ自民党が守ってくれますが、これからはAIなどとの戦いになるので、変化を受け入れない人は厳しいですね。一労働者として、誰かに雇われるしか道はないでしょう。

システムも開発されているので、イオンやセブンなど大きな組織の作業員として生きていくことになるかもしれません。

私のところにも自社ブランドの誘いがたくさんあるのですが、自社サイトを持っている人がモールに入るという意味が私にはわかりません。協力はしていますが、検索順位が上にあるため頻繁に電話がきます。それを聞きながら、どういうことが世の中で起こっているのか知るための手段になっているのですが。

これから、農業はどのような時代になると思われますか。

インターネットで広告を出す時代は、終わったと思います。

コロナ一年目は、これまでオンライン化していた人たちが勝ち上がっていました。2年目は補助金などで勝ち上がってきた人が、ネットを使ったセミナーで大にぎわいです。高額セミナーも売れていますね。

人間力がない人がセミナーをしても、お客さんの売り上げが上がらないので、あっという間に需要と供給のバランスが崩れてしまいます。そのような広告をよく見かけますが、原点回帰が大事ですよね。

私の場合は、具体例ばかりです。

本は200ページと限られているので、書ききれないところを著者がセミナーで解説しています。アナログだけれども、デジタルですね。書いてあることは変わりませんが、書いた本人が更新されていくので、毎回バージョンアップしています。

本を購入した人に対して、朝の5時55分から読書会を行っています。日曜の夜は伝達トレーニングを行い、その場でお題を与えて1分間の自己紹介をするなどトレーニングを2年半ほど続けていることもあり、大分、力がつきました。

今までは本当に物売りをしていましたが、今からは指導ですね。いちご作りのPRではなく、社会貢献として様々なことを行い、その人のいちごを食べたいという形に持っていくようにしています。

●様々なことをされていますが、積極的に取り組むための秘訣はありますか。

これまでは美味しくないいちごが取れても、どうしたら良いのかわからずにとりあえず冷凍していました。完熟になっても美味しくないものは美味しくないですし、ジャムにしてもスムージーにしても売る場所がありません。あとは、お祭りやサービスエリアなども選択肢としてありますが、雨がふれば売り上げはゼロです。

どうしようかと思っているときに、岐阜県の仲間がジェラートを作っていて、『あまおう』の素材が欲しいからおさめてもらいたいという話がありました。だから、自分で売り込みに行ったわけではなく、一生懸命やっていると出会いがありますよね。

しかし、それでジェラートを作ったのですが、全然売れません。普通に作ってもダメなので、いちごのようなジェラートが作りたいということでギリギリ粘性が保てる55%で作りました。今でこそ、80%のジェラートが作れますが。

60%が限界だということで落ち着いたのですが、これではハーゲンダッツよりも原価が高くなってしまい、田舎では売れません。遠くに行くにも難しく、鰻屋さんなども尋ねましたが、高いと断られてしまいました。

それが偶然にJR西日本さんの耳に入り、同席していた町の職員の知人から15分休憩の時に呼んでもらえることになりました。おそらく、私が一生懸命取り組んでいなければ、その場に呼んでもらえなかったのだと思います。

売れてないけど、自分が売れなければならない理由を一生懸命伝えていたので職員の目に止まったのでしょうね。そのちょっとしたチャンスに、私はジェラートを売り込むことはせず、御社の役に立てるということを初めて行ったプレゼンで伝えました。

まさに、伝達力で学んだことです。相手はジェラートを求めているわけではなく、大切な農産物をおさめてくれる若い世代、これから10年、20年付き合えるとんがった農家がいないかというメッセージに応えた形です。

しかし、とにかく資金がないので困っていたところ、たまたま少年野球の保護者が支店長だったというのも不思議な縁です。

ある出来事があってしばらくJR西日本さんとは付き合いが中断したのですが、今年、また別のジェラートを出すことになったのですが、コロナで中止になってしまいました。

これからのビジョンをお聞かせください。

労働収入だけでは死んでしまうと思ったので、この少子高齢化社会で国が求めている方向、かつ売れる商品を探しました。色々なネットワークビジネスの話がくるのですが、私が健康食品を売ることはいちごと結びつかないですし、私自身、魅力を感じません。

そんな時、外貨獲得という話を聞きました。お土産や飲食を通して海外の人が日本に期待しているという話です。

私がアラブへ行った時、若者がたくさんいました。皆、先進国へ行きたいと思うわけですが、彼らが富裕層になった時に日本を目指し、農産物を食べたいと思った時に英文表記でメッセージだけではなく、ライブ感や音声で訴えかけることができるよう英語の勉強もしています。

今は準二級を目指しているのですが、ランニングしながらブツブツ言っています。

そして今現在、豪華客船事業にも取り組んでいます。日本に5,000人運んでくる手段は船しかないのですが、客船が一泊1万円や5,000円などカジュアル化しました。

マーケティングが変わり、船の代金で利益を取るというビジネスではなく、安く乗せて中のお土産やエステなどのバックビジネスで儲ける仕組みです。

しかも、月会費のサブスプリクションにして、コロナでもお金が入る仕組みにしています。これは同じことをいちごでやっても勝てないですよね。

例えば、キティちゃんのお面はお祭りであれば買いますが、毎回は買わないですよね。綿菓子や焼きトウモロコシは日常的に買わないのですが、お祭りだと夢を買っているのです。

豪華客船は一般からすると夢であり、それを安価で乗ることができれば、皆呟きますし、満足したお客さんがお土産を買います。

いちごであれば、毎月1万円おさめてくれて2万円のいちごが届くと言われても飽きますよね。でも、世の中には飽きないサービスもあり、それがエンターテイメント、旅です。

豪華客船のルートが5,500通りあるように、旅は生きている間に行き尽くせません。この営業の傘下に入ることで、乗せたい船会社と乗りたい側のニーズにマッチングしたのがインクルーズという仕組みです。そこに会員制のエージェントをすることでビジネスを取り込み、いちごのマーケットが開けます。

私の中では、自分の農業があったとしたら、その下の支柱と土台がインクルーズです。国のインフラの事業をしながら、自分の農業ビジネスを勝たせる。そうして、豪華客船の営業で年収2,000万くらいになってくると、毎月の固定費がはらえるようになり、苺事業の負荷が下がります。

だから今、いちご農家には二つのキャッシュビジネスを持て、権利収入がないと自分が病気やコロナになってしまったら終わりだと言っています。

自分に何かあった時のために人を雇わないといけないですし、でも、オフシーズンに人を雇うということは加工品を売らなくてはいけないわけですね。

ところが、加工品は、インターネット市場で真っ赤っかの状態です。だから、国が進む方向と同じ、在庫を持ってはいけません。モノではなくコトを売れ、しかも、一生飽きないものを。それに旅が当てはまった訳です。

まとめ

インタビューはいかがだったでしょうか?

いちご農家の苦悩から、どのように勉強し、行動し、今の状況を作り上げてきたのかがよく分かったのではないかと思います。

私もインタビューをしながら、すごく学ばせて頂いた時間となりました。また、イチゴ大学アカデミアでも先生として講義をして頂こうとお願いしております。

ぜひ、その時はご参加くださいね。

<関連サイト>

楽農ファームたけした

イチゴで年商8000万円稼ぐ 最強の自社ブランド農業経営 単行本 –
武下 浩紹  (著)

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